核兵器廃絶への祈りの日(ノーベル平和賞受賞式に寄せて)
最近は、実家の母とともに、テレビニュースやワイドショー番組とは縁が薄くなってきた私ですが、、
やはり、おかしいですよね!?
戦争の悲惨さ、核兵器の怖さ、被害者の無念さ。。それを一番わかっているはずの日本にいながら、10日に行われたノーベル平和賞授賞式での出来事、代表としてスピーチをされた日本人被爆者でいらっしゃるサーロー節子さんの魂を込めた演説内容を、マスコミはどの程度に報道したでしょうか??
同じ日、阿部総理は、ゴルフをなさっていたということですが、、、
(被爆国日本の代表として、この大切な日に国民に向けて一言があっても良かったのでは・・・!? と思うのは私だけですか??)
『核武装国の政府の皆さんに、そして、「核の傘」なるものの下で共犯者となっている国々の政府の皆さんに申し上げたい。私たちの証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい。そうすれば、必ずや、あなたたちは行動することになることを知るでしょう。あなたたちは皆、人類を危機にさらしている暴力システムに欠かせない一部分なのです。私たちは皆、悪の凡庸さに気づかなければなりません。世界のすべての国の大統領や首相たちに懇願します。核兵器禁止条約に参加し、核による絶滅の脅威を永遠に除去してください。』 (サーローさんの演説より)
少し時間がたちましたが、インターネットで入手しましたサーロー節子サンのスピーチを転載させていただきます。是非、ご一緒に、日本という国に生まれた意味、そして私たちのとるべき道を考えながら進みましょう!
=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=
核兵器、必要悪でなく絶対悪
12/12(火) 5:17配信 朝日新聞デジタルより
(ノーベル平和賞授賞式典にて(2017年12月10日セツコ・サーロさんとベアトリス・フィーンさん(Beatrice Fihn)
ノルウェーのオスロで10日あったノーベル平和賞の受賞講演で、国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(I(アイ)CAN(キャン))のベアトリス・フィン事務局長(35)と、ICANの運動をリードした一人で被爆者のサーロー節子さん(85)=カナダ在住=は、迫る核兵器使用の危機を説いた。法的な核兵器の禁止を訴えたが、核を安全保障の柱に据える国々は早速、冷ややかな反応を見せた。
フィンさんの言う危機の一つは、核兵器が偶発的に使われることだ。「唯一の理性的な行動は、突発的なかんしゃくによって、私たちが互いに破壊されてしまうような状況で生きることをやめることだ」と述べると、大きな拍手を浴びた。
フィンさんは、米国とソ連による冷戦時代から、核武装国が9カ国まで増えた状況の変化を指摘。「テロリストもいれば、サイバー戦争もある。これらすべてが、私たちの安全を脅かしている」とし、核が使われる危険性が高まっていると警鐘を鳴らした。
広島と長崎への原爆投下後、世界が核戦争を回避してこられたのは「分別ある指導力に導かれたからではなく、これまで運がよかったからだ」と断じた。
さらに北朝鮮などの国名を挙げ、「核兵器の存在は核競争への参加へと他者を駆り立てている」と主張した。核による反撃能力を示して敵の核攻撃を封じ込めようとする「核抑止」では核使用の恐怖から逃れられないとの見方も示した。
続いて講演したサーローさんは、被爆者として見た原爆投下後の惨状を克明に描写し、核兵器は「必要悪ではなく、絶対悪」と言い切った。核武装する国々が「この美しい世界を将来世代が暮らしていけないものにすると脅し続けている」とし、いかなる国家にも「よい爆弾」はないとの主張を繰り広げた。
演説の終盤には、日本政府などの「『核の傘』なるものの下で共犯者となっている国々の政府の皆さん」に対し、「人類を危機にさらしている暴力システムに欠かせない一部分なのです」と警告。態度を改め、核兵器禁止条約へ参加するよう求めた。
だが、授賞式が開かれたノルウェーのソルベルグ首相は11日の記者会見で、「核兵器のない世界をどう達成するかにはICANと意見の相違がある。核保有国が関与しない核禁条約には署名しない。これでは核兵器は減らないからだ」と述べた。ノルウェーは北大西洋条約機構(NATO)加盟国で、米国をはじめとする核保有国の「核の傘」の下にいる。(オスロ=松尾一郎)
(朝日新聞社)
せつこさん、スピーチ全文↓↓(日本語)↓
「皆さま、この賞をベアトリスとともにICAN運動にかかわる類いまれなる全ての人たちを代表して受け取ることは大変な光栄です。皆さん一人一人が、核兵器の時代を終わらせることは可能であるし、私たちはそれを成し遂げるのだという大いなる希望を与えてくれます。私は、広島と長崎の原爆投下から生き延びた被爆者の一人としてお話をします。
私たち被爆者は、70年以上にわたり、核兵器の完全廃絶のために努力をしてきました。私たちは、世界中でこの恐ろしい兵器の生産と実験のために被害を受けてきた人々と連帯しています。長く忘れられてきた、ムルロア、エッケル、セミパラチンスク、マラリンガ、ビキニなどの人々と。その土地と海を放射線により汚染され、その体を実験に供され、その文化を永遠に混乱させられた人々と。
私たちは、被害者であることに甘んじていられません。私たちは、世界が大爆発して終わることも、緩慢に毒に侵されていくことも受け入れません。私たちは、大国と呼ばれる国々が私たちを核の夕暮れからさらに核の深夜へと無謀にも導いていこうとする中で、恐れの中でただ無為に座していることを拒みます。私たちは立ち上がったのです。私たちは、私たちが生きる物語を語り始めました。核兵器と人類は共存できない、と。
今日、私は皆さんに、この会場において、広島と長崎で非業の死を遂げた全ての人々の存在を感じていただきたいと思います。皆さんに、私たちの上に、そして私たちのまわりに、25万人の魂の大きな固まりを感じ取っていただきたいと思います。その一人ひとりには名前がありました。一人ひとりが、誰かに愛されていました。彼らの死を無駄にしてはなりません。
米国が最初の核兵器を私の暮らす広島の街に落としたとき、私は13歳でした。私はその朝のことを覚えています。8時15分、私は目をくらます青白い閃光(せんこう)を見ました。私は、宙に浮く感じがしたのを覚えています。静寂と暗闇の中で意識が戻ったとき、私は、自分が壊れた建物の下で身動きがとれなくなっていることに気がつきました。私は死に直面していることがわかりました。私の同級生たちが「お母さん、助けて。神様、助けてください」と、かすれる声で叫んでいるのが聞こえ始めました。そのとき突然、私の左肩を触る手があることに気がつきました。その人は「あきらめるな! (がれきを)押し続けろ! 蹴り続けろ! あなたを助けてあげるから。あの隙間から光が入ってくるのが見えるだろう? そこに向かって、なるべく早く、はって行きなさい」と言うのです。私がそこからはい出てみると、崩壊した建物は燃えていました。
その建物の中にいた私の同級生のほとんどは、生きたまま焼き殺されていきました。私の周囲全体にはひどい、想像を超えた廃虚がありました。幽霊のような姿の人たちが、足を引きずりながら行列をなして歩いていきました。恐ろしいまでに傷ついた人々は、血を流し、やけどを負い、黒こげになり、膨れあがっていました。体の一部を失った人たち。肉や皮が体から垂れ下がっている人たち。飛び出た眼球を手に持っている人たち。おなかが裂けて開き、腸が飛び出て垂れ下がっている人たち。人体の焼ける悪臭が、そこら中に蔓延(まんえん)していました。このように、一発の爆弾で私が愛した街は完全に破壊されました。住民のほとんどは一般市民でしたが、彼らは燃えて灰と化し、蒸発し、黒こげの炭となりました。その中には、私の家族や、351人の同級生もいました。
その後、数週間、数カ月、数年にわたり、何千人もの人たちが、放射線の遅発的な影響によって、次々と不可解な形で亡くなっていきました。今日なお、放射線は被爆者たちの命を奪っています。広島について思い出すとき、私の頭に最初に浮かぶのは4歳のおい、英治です。彼の小さな体は、何者か判別もできない溶けた肉の塊に変わってしまいました。彼はかすれた声で水を求め続けていましたが、息を引き取り、苦しみから解放されました。私にとって彼は、世界で今まさに核兵器によって脅されているすべての罪のない子どもたちを代表しています。
毎日、毎秒、核兵器は、私たちの愛するすべての人を、私たちの親しむすべての物を、危機にさらしています。私たちは、この異常さをこれ以上、許していてはなりません。私たち被爆者は、苦しみと生き残るための真の闘いを通じて、灰の中から生き返るために、この世に終わりをもたらす核兵器について世界に警告しなければならないと確信しました。
くり返し、私たちは証言をしてきました。それにもかかわらず、広島と長崎の残虐行為を戦争犯罪と認めない人たちがいます。彼らは、これは「正義の戦争」を終わらせた「よい爆弾」だったというプロパガンダを受け入れています。この神話こそが、今日まで続く悲惨な核軍備競争を導いているのです。
9カ国は、都市全体を燃やし尽くし、地球上の生命を破壊し、この美しい世界を将来世代が暮らしていけないものにすると脅し続けています。核兵器の開発は、国家の偉大さが高まることを表すものではなく、国家が暗黒のふちへと堕落することを表しています。
核兵器は必要悪ではなく、絶対悪です。今年7月7日、世界の圧倒的多数の国々が核兵器禁止条約を投票により採択したとき、私は喜びで感極まりました。かつて人類の最悪のときを目の当たりにした私は、この日、人類の最良のときを目の当たりにしました。
私たち被爆者は、72年にわたり、核兵器の禁止を待ち望んできました。これを、核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。責任ある指導者であるなら、必ずや、この条約に署名するでしょう。そして歴史は、これを拒む者たちを厳しく裁くでしょう。彼らの抽象的な理論は、それが実は大量虐殺に他ならないという現実をもはや隠し通すことができません。「核抑止」なるものは、軍縮を抑止するものでしかないことはもはや明らかです。私たちはもはや、恐怖のキノコ雲の下で生きることはしないのです。
核武装国の政府の皆さんに、そして、「核の傘」なるものの下で共犯者となっている国々の政府の皆さんに申し上げたい。私たちの証言を聞き、私たちの警告を心に留めなさい。そうすれば、必ずや、あなたたちは行動することになることを知るでしょう。あなたたちは皆、人類を危機にさらしている暴力システムに欠かせない一部分なのです。私たちは皆、悪の凡庸さに気づかなければなりません。世界のすべての国の大統領や首相たちに懇願します。核兵器禁止条約に参加し、核による絶滅の脅威を永遠に除去してください。
私は13歳の少女だったときに、くすぶるがれきの中に捕らえられながら、前に進み続け、光に向かって動き続けました。そして生き残りました。今、私たちの光は核兵器禁止条約です。この会場にいるすべての皆さんと、これを聞いている世界中のすべての皆さんに対して、広島の廃虚の中で私が聞いた言葉をくり返したいと思います。「あきらめるな! (がれきを)押し続けろ! 動き続けろ! 光が見えるだろう? そこに向かってはって行け」今夜、私たちがオスロの街をたいまつをともして行進するにあたり、核の恐怖の闇夜からお互いを救い出しましょう。どのような障害に直面しようとも、私たちは動き続け、前に進み続け、この光を分かち合い続けます。この光はこの一つの尊い世界が生き続けるための私たちの情熱であり誓いなのです。」
(以上スピーチ日本語訳全文) (朝日新聞デジタルより引用)
